【ベトナム都市開発のリアル】なぜハノイやホーチミン市の道路拡張は「屋外看板」をめぐって泥沼化するのか?

ベトナムの二大都市、ハノイ市とホーチミン市。活気あふれる街並みを象徴するのが、道路沿いの店舗が競い合うように掲げる「巨大でド派手な屋外看板」です。

慢性的な大渋滞を解消するため、市内では主要道路の拡張工事が急ピッチで進められていますが、実はこの「視認性の高い素晴らしい看板」こそが、国家による土地収用(用地取得)の現場で最も激しい衝突を生む火種となっています。

なぜ道路を広げるだけのインフラ計画が、店舗の看板や土地の権利を巻き込んで長年ストップ(ボトルネック化)してしまうのか。その裏にある土地収用のシビアな現実を細かく精査します。


1. 道路拡張が迫る「10センチの境界線」と看板の運命

ハノイの「グエン・トゥアン通り」やホーチミン市の「環状3号線」などの主要道路計画では、既存の道路幅を数メートルから数十メートルへと大幅に広げる工事が進められています。ここで発生するのが、道路沿いの民間住宅や店舗の敷地を国が買い取る「土地収用」です。

道路拡張プロジェクトにおいて、全体の設計上、数メートル、時にはわずか数十センチメートルだけ敷地境界線が内側に下がることがあります。この時、真っ先に「道路予定地」に侵入してしまうのが、歩道や道路に向けてせり出していた店舗の屋外看板です。

どれだけ集客に貢献し、視認性が高く、ビジネスの生命線となっている看板であっても、公共の道路計画の前には例外なく撤去、あるいは縮小の対象となります。


2. 「良い看板」が土地収用時に「違法建築物」へ一転する罠

ベトナムの道路沿いには、遠くからでも一目でわかる立派な看板が乱立していますが、ここに土地収用制度の大きな罠が潜んでいます。

① 黙認から一斉摘発へ

歩道上に大きく突き出た看板や、建物の構造を無視して上部や前方に増築された広告タワーは、通常時は行政から「黙認」されているケースが多々あります。しかし、道路拡張の土地収用が正式に始まると、当局による厳格な一斉チェックが入ります。

② 補償額「ゼロ」の衝撃

土地収用に伴う補償は、原則として「合法的な建築物・資産」に対してのみ支払われます。客引きに最適だった視認性の高い看板が、チェックの結果「行政の設置許可を得ていない違法建築物(違法設置物)」と判定された場合、立ち退きや撤去に伴う補償金は一切支払われません。

住民・オーナー側の本音:「今までお咎めなしで何年も営業させておいて、道路を作るからとタダで壊されるのは納得いかない!」

この感情的な対立が引き金となり、住民側が土地そのものの引き渡しまで拒む長期的な係争へと発展するケースが後を絶ちません。


3. なぜ看板と土地の収用交渉は泥沼化するのか?

住宅の立ち退きだけでも一筋縄ではいきませんが、そこに「看板(商業価値)」が絡むと、交渉はさらに複雑化します。

  • 「土地使用権(レッドブック)」と建物の不整合
    ベトナムの土地は国家の所有であり、住民は「土地使用権(レッドブック)」を持っています。補償金は、このレッドブックに記載された敷地面積と、その上に建つ合法的な建物の平米数(再建築費用)ベースで算出されます。しかし、多くの店舗は「看板を目立たせるため」に、レッドブックの登録範囲を超えて道路側にせり出すリフォームを行っています。この「書類上の土地」と「実際の看板の境界線」のズレが、国が提示する補償額と住民が要求する額の巨大なギャップを生む原因です。
  • 看板を失うことによる経済的損失の補償難
    道路拡張によって敷地が削られ、看板を小さなものに掛け替えたり、視認性の悪いデザインに変えざるを得なくなったりした場合、店舗の売上は直撃を受けます。住民側は土地や建物の実費だけでなく「看板がダメになることによる将来の減収分」も補償してほしいと要求しますが、国の土地収用法にそこまで柔軟な商業補償の規定はなく、議論はパラレルラインをたどります。

4. 変革期を迎える土地法と、街並みの未来

この深刻な状況を打破するため、ベトナム政府も動き出しています。導入された「改正土地法」の本格運用により、従来の不自然に低い地価フレームを廃止し、収用時点の「市場価格に近い、具体的な時価」で土地を補償する方針へと大きく舵を切りました。

これにより、土地や建物への補償アプローチは前進したものの、道路沿いの「看板やファサードの撤去・再設置コスト」や、それに伴う商業トラブルの解決にはまだ多くの時間がかかっています。最終的に決裂した場合は当局による行政強制執行(強制撤去)が行われますが、住民やビジネスオーナーの反発も大きいため、行政側も慎重にならざるを得ないのが実情です。


結び:道路の広さと、看板の行方

ハノイやホーチミン市が近代的な大都市に生まれ変わるために、道路拡張は避けて通れないインフラ投資です。しかし、私たちが普段何気なく見上げている「目立つ屋外看板」の一枚一枚が、実は国家の土地収用計画との激しい境界線上の攻防を物語っています。

都市の利便性を取るか、市民の商業スペースを守るか。ベトナムの道路拡張プロジェクトは、看板という日常の風景を通じて、都市開発の難しさを私たちに伝えています。

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